夢破れサラリーマンを辞め~憧れの職人の道へ…ところが現実は。
こんにちはリキュウコートです。
今回は初めて購入した愛車の手入をきっかけに「板金塗装」という職人の世界へ足を踏み入れた時の話をしたいと思います。
それまでは精密金型のエンジニアをしており、技術系ではありますが手先を使う職人の仕事とは違い、プログラミングによってマシンを操りミクロン単位で精密加工を行う仕事で、当時はまだ個人のアイデアや能力でマシンの性能を引き出せた為、とてもやりがいもあり向上心を持って働いていました。
周囲の同僚よりも合理化するプログラミングを生み出し稼働率を向上させ、システムの合理化によって生まれた時間で自分の相対的な仕事量は増えましたが決して嫌ではありませんでした。
しかし当時は技術系であっても年功序列・学歴社会の真っただ中で、自分の能力を生かし会社に貢献しても仕事量ばかりが増え、決して見返り(報酬)が少ないという不満だけではありませんが、努力に対する会社の評価が無い事が一番の屈辱でした。
現在では”若かったな”と思えますが、当時は「このままでいいのか?」と自問自答する日々が続いている時に、行きつけの板金塗装屋の社長さんから、細かく難解な注文を付けていた嫌味交じりの「職人に向いている」を真に受けてた事や、自分の能力と努力次第で仕事が評価される職人の世界にあこがれ会社を退職し職人の道を選びました。
そして、事前に評判だけ聞いていた何の面識もない夫婦で経営している板金塗装屋へ、飛び込みで門を叩き見習いのお願いをしました。 この記事では、はしおって書いているので伝わりにくいですが、若いなりに色々迷い覚悟をし、全く違う業界であり入社ではなく見習いという未知の世界へ足を踏み入れました。
とにかく覚悟は自分なりにしていましたが、学校や会社と全く違った現実に戸惑い、本当に毎日が長く辛かった思い出は一生忘れられません。
当時は師匠(親方)という絶対的な存在に圧倒され、コミニケーションを取る会話がほとんど無く、指示だけを受けるという毎日でした。
昔ながらの職人気質で、教えて貰うのではなく見て盗めというドラマみたいな世界で、指示された下働きで精一杯で「いつ盗むの?」って感じでした。 指示される作業の意味や説明もほとんど無いために、自分で何を何の為にしているのか解らないで作業をしているので当然失敗ばかりでした。
勉強する意味で疑問を質問する事さえもできない空気感を醸し出していて、とにかく一言でいうと「理不尽で非効率すぎる」でした。
奥が深すぎて当時は理解不能により「嫌われてるの?いじめ?」と思うようになり憎しみまで湧いてきたのを思い出します。
今でも忘れられませんが、理不尽な指示に不満が態度に出てしまい、親方から「辞めて帰れ!」と怒鳴られ、冬の小雪が舞うなか3時間以上、工場の片隅で許しを請う意味で無言で立ち続けていた事が印象深いです。
ちなみに何十年も経つ現在でも師匠(親方)とは交流があり、昔とは全く違った同じ目線で気軽に何でも話が出来る間柄になっています。
古い考え方の理不尽と思っていた見習い期間について、愚かな人間にとって理解できるまでには長い時間が必要でした。
今回、当時の昔話や苦労話をしたかったのではなく、この様な日々で仕事を少しずつ覚えて行く中で、初めてポリッシャー(機械磨き)を使ってコンパウンド磨きを行った事柄を、次回に説明したいと思い、あらかじめ当時の様子を説明しておきたかったので記事にしました。
今回も最後までお読み頂き有難うございました。
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